春の光

ちょっとね、この子のことはね、まだ切り取って書いたりだとか、思い出したりさ、色々なことがね難しいとは思うのだけど、この曲のことをつらつらと書こうとテキストエディタを立ち上げた。それで読者にはきっと優しくないだろう物語を、ああ、そんなもんいるのかどうかも不安なんだけれどもね、体よく言ってしまえばさ、明日の友達ってやつに、あと道端に落ちて潰れた粒柿のような俺のために、それと、あのかわいらしい酔っ払いのために書こうって思う。宣言するのは好きじゃない。でもね、僕は約束ってやつが大層好きだ。そんなもんを目の前に置いて、この物語を書こうと決めた。

まあね、もしかしたら約束でもなんでもないって、あなたはまたと笑うだろうけれど、この唄の歌詞を貰ったことが始まりだったのだから、なおのさらね。

ビスコというお菓子がある。今日、これをほぼ三年ぶりに食べた。甘いものはどんどん買って湯水のように消費するけれど、ビスコだけはついぞ自分で買ったためしはない。いい加減、買い与えてる側に立っていてもおかしくない年齢になってさえ、霧の中に取り残され歩くような朧げな俺の記憶のどこを巡り辿っても、ビスコ適齢期(そんなもんがあるのかは知らないが、育ち盛りっぽい時だろ)に買い与えられたことは一度も無かったはず。

もう五年以上前のことになるのだけど、友人の奥さんに「ビスコたべる?」と聞かれて、なんだ子供扱いかよとか思いながらも喜んでそれを食べたことがあった。最初に断っておくけれど、それに関してのロマンスは全くないし、いつもの脱線だから気にしないで欲しい。手放しのうれしいと気持ちと、友人はいい嫁を見つけてきたんだなという感想以外に書くことがないのだから。

この話はほうぼうでしたような気がする。僕はちょっと他に類を見ないほどの凶悪なツラで、家にはアルコールランプしかないだとか、クローゼットに死体を隠し持っているだとか、よくわからない評価を頂いているっていう男だ。そんな奴を子供のように扱ってくれるなんて! と感動した。 面白さの肝はそんなところなので、俺を知る人たちには大層評判がよかった。俺を知らない人はなんかジェイソンみたいな男(右手にチェインソウで左手に生首を持っている)にキャンディを渡すちいさな女の子、という図を浮かべてもらえばいいんじゃないかなって思う。そういった笑い話だ。だから嬉々として話す。隙さえあれば何度でもね。

初めてあったときに、「はい。テツヤさん」とビスコを渡されてたのが最初で、それからは手放しで恋をしてしまった。

いつも笑っていて、大抵、ビールを手に持っていてゆらゆらと揺れている、そんな女の子に全くの情報もなく、確信もなく、恋に落ちてしまったのだった。

石橋を壊れるまで叩いて、設計しなおして、また叩いてから渡るような性格の僕だから、恋に落ちる前には絶対、その子のプロファイルが山のように目の前に積まれているはずだった。二人でライブハウスまで一緒に歩いて、仲間たちとゆらゆらと踊って、そのころにはなんてかわいいひとがいるもんなんだとかぼんやりと見ていたから、ビスコを渡されてなかったら、とか、そういうのではないと思う。でも多分、これがスイッチになっているような気がする。ほら、誰だってジェイソンにキャンディを渡している女の子を見たら、胸がきゅんとするだろう?

手放しで恋をした拍子に、手放しで恋をされてしまった。この話がここで終われば、よくあるハッピーエンドになるのだけれど、そんな話、わざわざ書くわけがない。あまりにも突然すぎたので、なにも情報がなかったとさっき書いた。そう、その子は結婚していたのだった。
会えるのは平日の午前中だとか、いっしょに行くライブが始まる一、二時間前だとか、そういった時間だけだった。と同時に人目も避けなければならなかった。お互いの家は会う場所と離れてはいたが、そこら中に仲間たちがいて、その子たちに知られるわけにもいかなかったからだ。
よく、ひとに、やめなよ、と提言された.。別に意地とか、楽をしてやろうとか、そういうのではなかった。かわいらしい酔っぱらいが大好きだった。ただそれだけのことだった。
「ユカさん、今日は何時まで大丈夫?」
「午前中いっぱい」
一、二時間かけて会いに来てこういうやりとりばかりだったのが辛かった。ごくごくたまに長時間会えることがあったが、その時は四六時中、家や他のことを心配してそれどころではなかった。

そのうち、それとは関係ない所で脳みそがイカレてしまった。職場のビルの前まではいけるが、どうしてもエレベーターに乗れない。階段をあがることもできなくなってしまった。二週間ばかりそんなことは続いたので、会社に辞表を出して家に引きこもってしまった。もちろん、ライブや飲み会や、ユカさんに会いにいくこともできなかった。
でも、ユカさんには会いたかったし、なんらかの言葉を投げかけてほしかったとずっと考えていたのを憶えている。大丈夫だよだとか、ずっと頭を撫でてくれるだとか、そういったものが欲しかった。
結局、それ以来、ユカさんとは会っていない。明確な終わりもなく、中途半端に会わないし、話をすることもないという間柄になっている。
「もう限界です」的なメールを送った時に、私はいつまでもテツヤさんの側にいますから、と返信があったが、それも未だによくわからない。ただひとつ、いつか、私に似た女の子が書かれることを待ってます、というメールを貰って、ずいぶん経った今、これを書いている。

ユカさんのことを書くのはもうこれで限界だ。もう書くことがない。最後に出会うきっかけになった曲の歌詞を書いて終わりにしようと思う。

陽のあたる 窓に凭れて笑う
ぼくの手のひらの 雪のかけらが流れたら
手をつないで 君を連れ去ってしまおう
誰も見つけられない 虹の丘を越えて
隠れて遊ぼう

ぼくの指 君の髪 窓の外
ぼくはうつぶせて小さな声でうたう
君の声 ぼくの瞳 いつまでも
朝の光の渦 吸い込まれながら
転げながら

流れ落ちていく 水の色 春の光 照らして

手をつないで 君を連れ去ってしまおう
誰も見つけられない 虹の丘を越えて
二人で暮らそう

さようならと手を振る。果たせなかった約束と言えなかった約束、飽きる事がなかった願いとともに水へと流して、振り返らずに手を振る。さようなら。

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