朝の月(生成エンジンVer)

春が遣って来る

春は、いつも遅れてやってくる。

寒がりな俺にとって、春の定義は暦とは違う。バイクにモッズコートを着なくても乗れる日。それが俺の春だ。観光客が引いた後の、桜の絨毯を踏みしめながら走る日。花見と言っても、ただ桜並木の道をひたすら走って、適当な場所で止まってお茶を飲むだけ。そんな、誰かに説明したら馬鹿にされそうな儀式が、俺の春の始まりだった。

桜のトンネルをくぐると、風に乗って花びらが舞う。いや、舞うなんて生やさしいもんじゃない。まるで俺を取り囲むように、淡いピンクの壁を作る。その中で、甘い匂いに酔わされる。桜が持っている甘い記憶に、頭がクラクラする。

あの春も、そんな日だった。

「来てー」

深夜零時を回った電話。声の主は、親友の彼女。小さい頃からの親友で、女の話しかしないような奴。どうしようもなくかっこよくて、果てしなくだらしなくて、馬鹿みたいにギターが上手い。そんなヤツの彼女のことを、俺は好きだった。

「なしたさ?」
「花見、行かない?」
「お前な…こんな時間に…」

言葉は途切れる。目の前には桜の木が一本。街灯に照らされて、その影が揺れている。

「ごめん。いつもの、ね?」
「おけ。なんでもどうぞー」

いつものパターンだ。「あの人ってなんでいつもああなんだろう」から始まって、俺が相槌を打って、最後は笑い話に変わる。親友の悪口なんて、本当は言いたくない。でも、彼女の笑顔が見たい。だから話す。産婦人科まで付き添ったこともある俺は、彼女の涙も笑顔も、全部知っている。なのに、「なんでも相談に乗ってくれるいい人」のフォルダに入れられて、それ以上になれない。

でも、それでよかったはずだった。

「テッチャンはさ、好きな人とかいるの?」

突然の質問に、心臓が止まる。いつもの脚本から外れた展開。頭の中で警報が鳴る。

「あ? 俺の生活のどこにそんな出会いがあんねん」

冗談めかして返す。これが正解のはずだった。いつもみたいに、軽く流して笑って終わる。そうすれば、この関係は壊れない。彼女の笑顔は失われない。

でも、その夜は違った。

「でもあの子ちょっとよかったやろ?」
「いやそういう問題でも」
「あ、好きな子おるんや。で、誰? アタシ知ってる子?」

言葉が、勝手に出てきた。

「やー、だからな、つかな、お前が好きやってん」

時計の針が止まったような気がした。桜の花びらが、空中で静止したような錯覚。

「まった嘘つくんや?」
「いや、だから過去形になってんやん。そういう時期もあったってことで。な?」

嘘をつこうとした。でも、

「やー、なんつうか過去形なのが嘘。今も好き。知らんかったやろ?」

言葉は、もう止められなかった。

「……知ってるもなにも。ねえ、うん、ねえ?」
「そういうことだわ、ごめん」

長い沈黙。

春の夜明けの空気が、妙に重たかった。桜の花びらが道に敷き詰められて、まるで雪のよう。彼女の小さな「ごめん」が、その上に重なる。

「や、まあ花見もしたし帰ろっかな」

逃げるように言った言葉。いつもの調子を装おうとする声。でも、もう戻れない。

それからも付き合いは続いた。彼女が親友と別れた後も、数年。あの夜の話は、二度としなかった。でも、時々思い出す。桜の季節になると、特に。あの時、違う言葉を選べば良かったのか。いや、きっとこれが正解だった。「なんでも相談に乗ってくれるいい人」でいられた時間。それだけで、充分すぎるほどの幸せだったはずだ。

春は、また遅れてやってくる。
花びらは、また道に散る。
記憶は、また甘く溶けていく。

春が、やって、くる。
春が、遣って、狂う。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *